感想文 恋を読む「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」

朗読劇 ぼく明日

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鈴木×山崎回のみ、全3回


原作は約3ヶ月前に読みました。なので、ストーリーは入っているけれど細かいところまでは覚えていません。
劇中のセリフを引用していますが、細かい部分は覚え間違いしていると思います。
全て個人の感想です。
毎度読みにくい文章で申し訳ありません。

 

原作を読んだ際に、これは映像向きの作品ではないかなあと思いました。
でも観劇してみたら全然そんなことなかった。演劇での表現が難しそうなところは原作からピックアップしないようにしたのかなと思いました。その辺り上手いなと思います。

ただ、私の周りで原作も映画もノータッチ、この朗読劇で初めて「ぼく明日」の世界に触れたという人の中には、「二人の時間が逆行している」という設定の理論的説明がないことに引っかかって入り込めなかったという人も多かったです。ここどうなってるの?という疑問が出てきてストーリーに集中できない、という状態になってしまう。それだと確かに感動しにくいですよね…情動より理性が働いているので。

原作小説もその辺りの説明不足感はあったように思いますが、朗読劇では時間的な問題か説明が多くなりすぎるからか、かなり省かれていて(0時リセットの話とか)疑問が多くなっていたかも知れません。私は原作既読だったのであまり気になりませんでした。

説明しすぎてもストーリーの流れの邪魔になってしまうし、説明多いと頭に入らないって人もいるし、塩梅が難しい部分なのかな、と思います。


舞台装置が良かったと思います。\ /←斜度はもっと緩やかだけど、こういう感じ(斜度3度くらい?一番低いところにも一番高いところにも座れる、2つの間は人ひとり通れる位)
…絵心が欲しい(笑)

 

アニメーションはあまり効果的ではなかったかな。
もっと「朗読」が主で演者さんが殆ど動かない朗読劇であれば、補助として効果的な使い方が出来たと思うけれど、今回はキャストに動きのある「劇」の方の割合が高かったので、観客の視線を散らさないよう最小限だったのかな、と思いました。

キャストに動きのある演出が多かったのは、地の文を担当する分、読む量が多い男性キャストに舞台経験の多い俳優が多かったからでしょうか。

好きな演出は、デートで場所が変わったことを、キャスト二人が同時に一歩進むことで表現したところです。

 

今回の場合、アニメーションが観客の理解の補助となりそうなのは愛美が二人の進む時間の方向が逆だと説明しているときに背景になっているところ。
他は無くても特に問題なさそうな気がします。
でもこう思うのは原作を読んでストーリーやトリックが分かっているからかもしれません。


OPとEDを揃えているのは「端と端で繋いで輪になっている」からかと思いました。
ずっと高寿目線で物語が進んでいって、高寿の最後の日=愛美の最初の日で折り返して最後の数分だけ愛美目線になり、愛美にとっての初日から最後の日までを、それまで見てきた高寿目線の物語を巻き戻すように進んで、愛美の最後の日=高寿の最初の日で終わる。

「また明日」の約束は、相手の未来への言祝ぎであり、二人の未来を別つ呪いでもある。この言葉で終幕するのは『ぼく明日』の世界をよく表しているなあと思います。

 

山崎さんは初めましてでした。
映画もテレビも殆ど見ないのです、申し訳ない。
背が高くて顔が小さくて脚が長かったです。

 

始まってすぐ、出会った日にもう時間だから、と別れるときに「悲しいことがあってね」とぽろぽろと涙を零していて、私はそれを見て「じょ、女優だ~~~!」と思いました。

他のキャストさんも開始直後から涙出してるのかな、役者さんは本当にすごいなぁ。

 

ご本人の顔立ちはキリッとした美人系だけど、愛美の役作りが茶目っ気のある感じだったので可愛いが前面に出ていて、美人と可愛いが上手くミックスされていて良かったです。

芯が強くて一生懸命頑張ってるけど、やっぱり辛くて泣いてしまったり、そういう揺れの表現が上手かったなと思います。

 

楽カテコで拡樹さんにエスコート返ししてくれてありがとう!面白かったです。
初日カテコで拡樹さんが差し出した手に、一瞬だけ、え?、ってなったのも可愛かった(ちゃんとエスコートされてくれてありがとうございます)
あと靴底めっちゃ薄くてぺたんこのサンダル履いてきてくれてありがとう(笑)

 

 

以下、鈴木拡樹さんの話です。


GWにやった『私の頭の中の消しゴム』は明確に役のキャラクターを変えていたけれど、今回は役との馴染み方が回を追うごとに深化していったように感じました。
消しゴムはアプローチを変える、ぼく明日は同じアプローチで精度を高める、といった違いがあったように思います。

 

今回は地の文とセリフを明確に分け、地の文はナレーションのような読み方、セリフはセリフ、というような朗読でした。
で、慣れていないからだと思うのですが、まあナレーション部分で噛むわ噛むわ。
ただ、初回は本当に噛み倒してたのが3回目は殆ど淀みなく朗読できていたのは流石だと思いました。(でもできれば初回からお願いしたいです)

 

一目ぼれで恋に落ちるところが印象的、とご本人はインタビューでもパンフレットでも言っておられましたが、そこはまあ、普通、かなと思います。もちろん下手ではないですし、きちんと伝わるのですが、他の場面と比べて特別良かったかというと、そうではなかったかなと。私には他の場面の方が強く印象に残りました。

ただ、観劇に限らず、あるコンテンツの感想というのは個人的な経験に左右されるものなので、これは私が拡樹さんは恋愛ものは得意じゃないと思っていること、また私自身に一目ぼれの経験がないことが影響していると思います。きっとこの場面でふわぁああああ!ってなる人もいる。

 

私がいいなと思った場面は、恋人になってすぐ、愛美が「私〇〇だよ?」って自分のマイナスポイント挙げて、それでもいい?って聞かれて、何度でも「いいよ」って返すところです。いいよ、の言い方が少しずつ違って、だんだん包容力が増していくんです。

ここ場面は山崎さんの演技もよくて、 恋に落ちたばかりの初々しさと、幸せ~って雰囲気がほんわか漂っていて見ている方もニコニコしてしまいました。

 

引越しの場面、初めて買ったCDは日替わりネタ(ネタ的に拡樹さん考案)でした。チョイスが渋くて、一体いつの設定なんだ?と思いました。3回目以外はきっと1990年代なんだと思います(そんなわけない)

一気読みした漫画ガラスの仮面だしね…携帯持ってなくてもそんなに不自然じゃないしね…

金曜15時半回→聖飢魔Ⅱ、初めて描いた漫画に蝋人形が出てくる
土曜15時半回→与作、エクスカリバー的な斧が出てくる
土曜19時半回→鳥越裕貴ファーストCD、挑戦する姿勢に感動して漫画描いた

19時半回は会場笑いの渦でしたね!声加工しすぎ、とか言ってたし、鳥ちゃんに対して容赦ない拡樹さん(割といつもそう)

 

引越し終わってからはネタばらしというか、愛美の秘密が明かされる場面になり、高寿の葛藤が描かれるのですが、この辺りはやっぱり巧かったです。表情筋の使い方に癖が出なくなったなと思いました。

愛美と仲直りしてからは、恋より愛を強く感じました。時間の流れる方向が違うこと、共にはいられないこと、そのことも一緒に愛美の存在をすべて受け入れているような。 

 

ラストシーン、上手端と下手端で高寿と愛美が「また明日」と言い合うところ、場面的には高寿は初日なので笑っていて、3回目までの「また明日」は、愛美の様子に対する少しの戸惑いと明日また愛美に会える喜びで本当に嬉しそうなのに、4回目で一転して最後の日の「また明日」になるのが凄かった。

破顔に近いような笑顔から一転して涙を流したのも驚嘆しましたが、最初の日の恋に落ちたばかりのうきうきした少年の顔から、愛美との運命を受け入れると決めたことで精神的に少し大人になった最後の日の高寿の顔に変わっていました。

多分ですけど、高寿目線での最初の日の「また明日」が3回だったから3回目までは初日の高寿なのかな、と思いました。
(初日の「また明日」の回数は記憶違いの可能性あります)

4回目は辛くて悲しいのを押さえ込んでいる、5回目は愛しい、という顔だと思いました。

 

実はこの最後の場面の拡樹さんの表情をきちんと見られたのは3回目のみだったので、もしかすると1回目2回目はまた違う印象だったかもしれません。

下手側の座席でないと見えない、後方だとオペラグラスがないと見えない、というなかなか条件揃わないと最後の場面の表情は見られなかったので、勿体ないなあと思いました。

しかも逆サイドでは山崎さんが熱演されているので…つまり目が足りません!

 

同じ脚本をキャスト替えでやる場合、どこまで演出でどこから役者の裁量なのかなと考えてしまいます。もちろん同じ演出でも役者さんが違えば変わるので、そこも面白いところです。

で、これを解明するには別キャストさん(できれば3組以上)観ないと分からないと思うのですが…お金と時間がないので分からないままになってしまいました。こういうところ、観劇が趣味なのではなくて本当に単なる役者のオタクなんだなと思います。

いろんな組を見比べて楽しむのが本来の楽しみ方なんだろうになあ…

 

ラストシーンの切替と、地の文の読みがナレーション風だったのが演出なのか拡樹さん自身の表現なのかが知りたいです。

ラストシーンは演出で地の文の読みは拡樹さんの判断なのかなあと思っているのですが。どうなんでしょう。

地の文の読みは、GWに公演があった『私の頭の中の消しゴム』がセリフ口調だったのでそれとは変えてきたのかな、と思ったのです。いろいろなやり方に挑戦しているのかな、と思いました。

 

拡樹さんの高寿は、穏やかで包容力があって、失敗することもあるけど自分できちんと立て直して相手に謝罪できる、うん、やっぱり20歳にしては大人だったかなー、と思います。

あとこれは役の中に俳優本人を投影してしまっている部分があるとは思うのですが、「きもい」の一言があんなに浮くの、逆にすごいと思いました。「気持ち悪い」は浮かないけど「きもい」は浮いて聞こえるんです。やっぱりキャストのイメージを投影してしまっているからかなあ。でも知らない頃には戻れないし…とぐるぐるしてしまいます。

 

そういえば友達が観終わって「ひろきくん、また円環の中で歴史守ってるんだね」って言ったので吹き出してしまいました。そうだね!