感想文 舞台「どろろ」 3/8、3/10夜、3/14昼、3/16昼、3/17夜

舞台どろろ

観に行きました。

 

こちらは舞台感想文になります。アフタートーク回ばっかり行ってるけど、そちらの感想はありません。

また、記憶を頼りに書いていますので、セリフや演出に間違いがあるかもしれません。

 

※脚本演出に関して批判的です。ごめんなさい。それから、あくまで個人の感想です。

前提としまして、原作漫画はばんもんまで読了、2019版アニメは見ていますが3、4話は見逃しました。

 

よろしいでしょうか。

 

現在放映中のアニメの百鬼丸役が今回主演の鈴木拡樹さん、メインビジュアルもアニメ準拠なので、原作よりアニメを基にした舞台なのだろうと予想して観に行きました。

ビジュアルはどのキャラクターも完全にアニメ準拠でしたね。

アニメがまだ途中までしか進んでいませんので、後半のストーリーがアニメと同じようになるのかは不明です。ただアニメが放映されているところまでは、ストーリーは多少構成は変えていましたがアニメと同じでした。

HPのスタッフ欄を見て頂くと分かるのですが、脚本協力としてアニメの脚本家さんがずらり。観劇後に、原作を基にした舞台ではなく、アニメの2.5次元舞台として作成されたのだという意味かなと思いました。

一幕(前半)はアニメの醍醐の巻(第一話)と妖刀の巻(第四話)中心に、寿海の巻(第三話)とばんもんの巻(第十一話・十二話)は後半に組み入れられていました。

もちろんアニメそのままではなくて、澪のエピソードは百鬼丸の過去としてさらりと語られるだけで澪とどろろは会っていないし、どろろの過去はどろろの「おっかちゃんは死んだ」「死ぬ間際までおいらのことを気にかけてくれた」といったセリフのみ、という編集はあります。

舞台ではテーマは家族、特に百鬼丸の、というところがブレずに表現されているのですが、その分どろろ周りは削られた感じはあると思います。ただ、時間の制約を考えると仕方がないのかな…エピソードがギュウギュウに詰まってる感がありました。

対して、百鬼丸・多宝丸・醍醐景光・縫の方の家族のエピソードはメインとして扱われているので、かなり深く掘り下げられているように感じました。

これがアニメもそうなのか、舞台オリジナルなのかは今の時点では分かりませんが、アニメもこの流れなら、もう少し百鬼丸側のフォローが欲しいなと思いました。(詳しくは後述)

賽の目の三郎太のエピソードがかなりオリジナル色が強いというか、原作とは全く違っているようなので、これはアニメも同じようになるのでは?と思っています。

 

 

寿海と百鬼丸の関係もとても感動的だし(「これを何と言うか知っている。ははうえ」はずるい!)、田之介とお須志、助六とおっ母、三郎太とおっ母、すべてその家族の物語が泣かせてくるのですが、メインである醍醐一家に絞って感じたことなど。

 

「鬼か、人か」はアニメからのキーワードでもある訳ですが、百鬼丸のことだけじゃないなあと思いました。(浦沢直樹先生のMONSTARを思い出しましたね…)

本当の鬼はだれ?

鬼とは何?

 

百鬼丸は生贄(人柱)で、では、自分の意に反して生贄となったものは諾々と贄とならなければならないのか?

自分が犠牲になれば多くの人が助かるのだから、と死ぬ人は称賛されるけれど、だからといって犠牲になるのは嫌だ、という人を責められるものなのか。

多数の幸福の為に少数を犠牲にすることは赦されることなのか。

現在の倫理感からすると、間違っている。と言い切ってしまえるのかも知れません。

でも死ぬ危機がすぐ目の前にあるとしたら。少数を切り捨てれば多数が助かるのだとしたら。

その部分を掘り下げていたので、景光がただの悪者ではなくなっていたし、縫の方・多宝丸の心の機微が観客と同調しやすく(感情移入しやすく)なっているように思いました。

 

翻って、百鬼丸は最初は人形みたいだし、ようやく感情が見えるようになったと思ったら人ならざるモノ(鬼)に堕ちかけてるような苛烈さが前面に出てくるしで、感情移入しにくいし、そこを狙っているのはわかるのですが百鬼丸が身体を取り戻そうとすることが正しいと思えなくなるような描写が多いように思いました。

特に育ての親である寿海が身体を取り戻すことを否定することが、最も「間違っている」感をつよくするように思います。弟からの否定、母からの否定は領主としての立場からで、まあ単にたまたま血が繋がっているだけで、数多の領民を救う『生贄の子供』を良しとするかどうかでしかない、理の面からの否定です。けれど寿海は、それこそ百鬼丸の親であり家族であり、その視点からの否定はかなり強く響きました。情の面からの否定だったからです。

大人が理からも情からも否定してくるので、そこに対抗する百鬼丸の「俺のものだから、全部取り返す」という主張がこどもが癇癪起こしているように見えてしまう…味方するのがどろろだけなので、より幼稚な正義を振りかざしているだけのように見えてしまう気がします。

どろろだけが味方をする、というのはバディ物のファクターとしてよくあるものだし、大人の都合に縛られず本質を突いているという意味もあると思います。

でも、それだけだと弱いというか、心情が百鬼丸側に戻らないように思いました。私だけかもしれませんが、道理は百鬼丸の方にあるのは顕かな筈なのに「醍醐が豊かな土地であること」という時点での物語なので、豊かな土地であることが前提になってしまい「有るモノを奪う」のが百鬼丸のように見えてしまって、奪われたモノを取り返しているだけ、という百鬼丸の正しさが頭では理解できているのに感情が百鬼丸の側に行かないのです。

ここの辺りが、私が「もっと百鬼丸の側の心情を丁寧に描いて欲しい」と思った部分です。自分の観劇後の感想が「早くアニメで見たいなあ、きっと丁寧に書いてくれるよねえ」だったの、本当に残念に思います。

 

それと、百鬼丸が強いことも百鬼丸に同情しにくい要因ではないかと思いました。

例えが卑近で申し訳ないけれど、最低時給で働いていて預貯金が全くない人が1万を盗まれたと聞くのと、不労所得で暮らしてる総資産30億の人が1万を盗まれたと聞くのでは、同情の度合いは変わります。しかもその1万が貧しくて給食費を払えない子どもの食費に使われたと聞いたら?

盗まれたのが最低時給で働く人だったら、盗んだ100万はちゃんと返して食費は他の方法で賄うのが本筋でしょうと考えられますが、総資産30億の人だったら、それくらいあげてしまってもよいのでは?と思ってしまいそうです。もちろん総資産30億の人にも1万を取り返す権利はありますし、悪いのは盗んだ人です。

…何を書いているのか分からなくなってきました(笑)、とにかく百鬼丸は感情移入しにくい上に同情すらしにくい。だからこそもっと丁寧に描いて欲しかったなと思います。そうしたら、百鬼丸の側にも添うことができたと思うのです。寄り添いたかったんです、私は。

まあ正直、話のスピードがとにかく速いので、感情移入する前に場面転換してしまって、醍醐一家側にもそこまで寄り添えなかったのですが…それでも其々のキャラクターの心情が「わかる」のでまだましでした。百鬼丸は本当に分からないですね、なぜ取り返したいのかが分かれば良かったのですが、とにかく「自分のものだから」でしたので…

先程の例でいうと、最低時給の人なら「自分のだし、それがないと電気ガス水道払えない」という理由になるので「それは困るね!絶対取り返そう!」って気持ちになるけれども、総資産3兆の人は「自分のなので」だけだから「ああ、まあ、そりゃそうですね」程度にしかならない、という違いです。

しかも無くても特に困っていなさそう。

琵琶丸が「奪われたモノは身体だけじゃないと思っているのかもしれない」と言いますが、特に明示はされないし、場面としてはミオが殺されるところでしたが、ミオが殺されたのは別に鬼神の影響ではないし、百鬼丸が五体満足だったら防げた訳でもないですよね。

そんなわけで、アニメでもっときちんと百鬼丸側の事情・心情を描いて欲しいなと思っています。(無理やりまとめる)

 

脚本があまりにもアニメのダイジェストでしかなかったので、エピソード詰めすぎて駆け足だなあ、ちょっと説明不足じゃないかなあと感じる部分は多々ありました。でもキャスティングされたキャラクター全部出そうと思うと、ああなってしまうのかな…

演出に関しては、音楽の扱いが雑だったのは気になりました。曲自体はいいのですが、唐突だし繰り返しが多すぎると思います。

暗転が多いのでは?というお客さんの意見があったのか、東京公演途中から暗転部分が目つぶしに変わりました。そういうことじゃないと思います。目が大変にしんどかったです。

 

ダンスでの表現は、私は好きでした。川の流れの表現は特に美しかったと思います。

OP後のどろろ登場前の領民たちの踊り、その後どろろをボコる男がにこやかにダンスに参加しているの面白いしカワイイので好きなところです。

狐火(ばんもんにいる妖)や鵺(鵺と劇中では一言も言っていない気がしますが)の表現も私は演劇的で良かったと思います。鵺はよく絡まらないなと思いながら見ていました。そしたら東京楽で三郎太の足に絡まってしまって、転んでしまうのではないかと見ていて血の気引きました。終盤だったので絡ませたままで最後まで行きましたが、本当に怪我に繋がらなくて良かったです。

 

 

以下、各キャラクターおよびキャストさんの感想を。長さバラバラで申し訳ないです…

 

田之介:影山達也さん

個人的には公演期間中の伸びが一番大きかった人だと思います。分かりやすい部分では、殺陣がかなり良くなっていました。スピードが速くなっていて、妖刀似蛭の扱い手としての説得力が増していました。

演技もよくなっていて、似蛭を呼ぶときの恍惚感は後半とても良かったと思います。

素の、良き兄である部分と、似蛭に憑りつかれて「人ではない」部分とのメリハリが大事な役だし、そこがやりがいのある役だと思います。人である田之介と人ではなくなってしまった田之介がきちんと地続きであるという説得力を持って演じられているように感じました。 人が人でなくなる、というのは後半の三郎太の百鬼丸への「そうか(お前は)人じゃあないか」というセリフとも絡んで伏線になる部分なので、しっかり演じてくださった分、作品に通底する「鬼か人か」のテーマが浮かび上がってきたように思います。

 

助六:田村升吾さん

滑舌がよくてセリフが聞き取りやすかったです。緩急がつくともっといいなあ。いや十分上手いですけど。最近の若い俳優さんみんな上手いですよね。

唯一の「親としあわせに暮らす子ども」なので、幸せになって欲しいです。百鬼丸が身体取り戻したら天災がわんさかやってくるかもしれないけど(台無しな推測)、多分あそこ朝倉領だから大丈夫!

 

三郎太:健人さん

殺陣うまい(知ってた)芝居うまい(知ってた)私にとっては安心感を持って観られる役者さんのひとりです。

寿海の回想をぶった切る「話は終わったか」、唐突すぎて笑えて来るレベルでした。ここに限らず、話がぎゅうぎゅうに詰まっているせいで余韻がなさすぎでした。

三郎太の「そうか、お前は人じゃあ、ないか」も恐らくキーワードとなるべきセリフなのに、めっちゃ流されてる感。とにかく時間なさすぎで、その中で大事にしたのが『家族』だったので、それ以外は本当に流されがち…

それでも演技の巧みさで人の弱さと、弱さ故に人ならざるモノになってしまう三郎太を演じられておりました。流石です。

後方席だと胸元の傷は全く見えませんでした。着物の合わせの問題もありますが、もうちょっと何とかならなかったかな…見えなくてもいいという判断だったのかも。

 

琵琶丸:赤塚篤紀さん

私の推しキャラ、琵琶丸さん。アニメでも無双ですが、舞台でも強キャラでした。満足です(笑)

ナレーションと僧侶の声当てもされていて、まあなんと聞き取りやすい声と滑舌の良さ。声音も変えておられて、分かりやすかったです。

白コンタクトは視界悪くなりそうだし、常に腰曲げておかないとならないし、杖と琵琶を常に持っていなくてはならないし、制約多すぎて大変。なのに殺陣が強く見えて素晴らしかった。ちゃんと腰曲げて殺陣していて、難しそうでした。

推しキャラを素敵に演じてくださって本当にどうもありがとうございます。

 

寿海:児島功一さん

寿海パ…いや寿海ママ。寿海と百鬼丸のエピソードももう少し丁寧でも良かったんじゃないかな…。「手足ではなく、もっと別のものを与えるべきだった」的なセリフがありますが、いや手足も必要だろ…と思ってしまいました。「別のもの」が何なのか示されていないので推察になりますが「人のこころ」かな?でもあの流れで人の心と言われると、人の心とは自己犠牲精神のことですか?と言いたくなってしまいます。

とにかく、その「別のもの」と手足は対立軸ではないのでは?と。そして寿海の愛情はきちんと百鬼丸に届いていますし。

百鬼丸も寿海の前では少し幼く見えました、愛情を疑わない家族に甘えている感じでとても良かったです。

そしてぎゅうぎゅう詰めの煽りをくらって、最期に百鬼丸を助けに行く場面が唐突すぎる。「あの子を鬼にした責任を」と言われましても。手足を与えたこと=鬼にした、という風に捉えてしまうのですが、その解釈で合っているんでしょうかね…?

児島さんの演技が本当に愛情深かったので、そこから百鬼丸を思って発せられる言葉はとてもパワーがありました。

 

縫の方:大湖せしるさん

美しい…!目が潰れるんじゃないかと思いました美しすぎて。顔も所作も舞も美しい。はーいいもの見た。と全観客が思ったに違いないと確信しています。

演技は安定していてブレもなく、景光や多宝丸の芝居をきっちり支えていたように思います。

胸を突いた後、下手での醍醐一家のやり取り後に、上手の百鬼丸と寿海のやりとりの間中ずっと下手の寝台の中っていうのが妙にこう…何とかならなかったのか。

あと、百鬼丸の名前はいつ知ったんでしょうか。初見時に「ぼうや…いえ百鬼丸」って言われた瞬間に脳内ハテナで埋まりました。何度観ても分からなかった…

 

醍醐景光唐橋充さん

キャラクタービジュアルが発表されたとき、あまりにも唐橋さんの面影がなくて5度見した。

原作よりずっと美味しい役その①。なんだかすごく領民思いのいい領主になっている…

縫の方を愛していて(あんな美しい奥方なら大事にしますよね)、後継ぎたる多宝丸に期待をかけているごく普通の父親。百鬼丸は己の罪のように見えていたのか、それとも培ったものを奪っていく災厄でしかなかったのか。劇中では殆どの時間百鬼丸を災厄扱いなのに、最後の最後で己の罪を認め、全てを失くして尚生きねばならない慟哭で全部持っていったずるい。大変いい場面でしたが、本当にずるい。

唐橋さんの演技は日替わり。その日によってセリフのトーンや間が変わり、ほんの少しの差異でそのセリフや動作に込められた感情が違って見えました。こちらが受け取る印象が変わるので、何度も観劇した身としては楽しかったです。

これは芝居の受け手であった多宝丸役の有澤さんにはとても勉強になったのではないかなあと思います。若いうちにそういうの経験できるととてもいいですよね。

 

多宝丸:有澤樟太郎さん

脚なっが!腰ほっそ!体形が日本人離れしすぎていて袴が…なんだか違和感…すごい高い位置に腰板がある…!

原作よりずっと美味しい役その②。2019年版アニメも原作より美味しいキャラになっているので、アニメ準拠の舞台で美味しい役なのは道理ですね。袴がヒョウ柄なのってアニメもでしたっけ?

西田さんはお客連れてくる役者さんにちゃんと美味しい役を振るので、そこはとても評価できるところだなと思います。

殺陣スピードが本番重ねるうちに上がっていって、公演後半のラストの百鬼丸との一騎打ちは本当に凄かった。演技も良かったです、特筆できなくて申し訳ないのですが、あの父母と絡む演技で格落ちしなかったのは凄いと思います。

キャラクターの心情が追いやすいし、出番も多いし、死ぬ役は嫌!とかでなければファンは楽しかっただろうなあと思います。

 

どろろ北原里英さん

かわいい!かわいいかわいいかわいい!大きな瞳、くるくる変わる表情。アニメと同じ特徴を持ったどろろ

殺陣あり、早替えあり(ミオも北原さんですよね…?ちがう??)でお疲れさまです。声の通りがよくて、かつトーンや喋り方もアニメに寄せていたのかな?もう少し強弱がつくと良かったかな。ってこれ田村さんのところでも書きましたね?こどもの役だと抑揚つけにくいのかな?大人っぽく聞こえてしまうとか。肉眼で表情が見えない距離だと、声って本当に大事だなあと思います。声というか、声の演技。

舞台上での存在感があって、とても良かったです。ひとくくりにしたら良くないなと思いますが、最近のアイドル出の女優さんはお上手な方が多いので、観る前から安心感があったし、予想を裏切らない出来でした。そして何より可愛かった!

 

百鬼丸:鈴木拡樹さん

一体何を観たんだろう。と、今でも思っています。凄かった。

存在感がすごくあったと思うのですが、まあ推しであるのでファン以外から見てどうだったのか不明です。

初見では後方からオペラグラス無しで観劇したのですが、表情分からないとやっぱりセリフがないのは厳しかったですね。まばたきしていないのも勿論分かりません。つまり得られる情報が限られすぎていて、上手い下手以前の問題に感じてしまいました。多分拡樹さんのことを一切知らない人が見たとして、上手いと思わないだろうと感じたのです。下手だとも思わないと思いますが。

動きでの人工物感は後方からでも認識できました。首の動かし方は文楽の人形のようでしたし、脚の動かし方も似蛭戦で傷ついた状態、二幕で寿海に代わりの脚を欲しがるところなど、自然とそうなっているように見えました。

初見以降は前列で観たり双眼鏡使用して観たりしましたので、大分情報を取り込めました。それに公演を重ねるに連れて、存在感の強さがどんどん大きくなっていったように思います。台詞なしで表情も殆ど変わらないという条件の下でも、こちらに伝わってくるものが増えたように感じました。

自分の感じたものの言語化が難しくて、全く伝えられない自信があるのですが(笑)、脱皮したような、また一段上がったように感じました。使える札が増えたというよりは、札がクラスチェンジした感じ。つ、つたわらなーい!

今回衣装が薄手で着込むタイプでもなかったので体つきがよく分かったのですが、なんかすごく男の人の身体になったなと思いました。背中と腰回り特に。あとウィッグ良かった!すごく馴染んでいたし、色味も綺麗でした。ビジュアル大事。

殺陣が大量で大量で大量でしたが、体を取り戻す各々の段階で、また心の有り様で変わっていっていたので、飽きずに見ることができました。でも傷だらけでしたね…本番中のアクシデントでの顔の怪我は怖かったです。目の近くでしたし。

似蛭を膝に挟んで奪うアクションがありましたが、挟む方の膝裏に傷が付いていて、さもありなんでした。他の演目でも怪我することはあるのでしょうが、今回は露出部分が多いので怪我するとすぐ分かる…

 

 

全体的に、アンサンブル含め、役者の力量で脚本の穴を塞いでいたように思います。役者さんは本当に良かった。なのでちょっと勿体ないなあという気持ちです。