【感想文】リトルショップオブホラーズ(2021)

2020年春、幕開けも遅れそして唐突に断ち切られた公演の続き…

シアタークリエ ミュージカル『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』

の、ような新しい物語でした。

 

観劇日:8/28夜、8/29昼、9/4昼、9/7昼夜、9/11昼

※ダブルですが6回観劇でシーモアは鈴木さん5三浦さん1。(推しが鈴木さんなので許して頂きたい)

オードリーは妃海さん3井上さん3です。

キャスト全員2020年より歌唱力も演技力も上がってて素晴らしかった。

 

 

あれ?ここの場面、2020でもこうだったかな?

マイ初日の8/28ソワレ(鈴木さん/妃海さん)を観劇した時、早々に違和感を覚えました。

シーモアがオードリーIIの名付を披露する場面、シーモアが「迷惑だった?」と聞きオードリーが「そんなことない」と返した後、見つめ合ってお互いにはっとする

え、こんな演出でした?いや私の記憶力ぽんこつだから覚えてないだけ?はっとするのシーモアだけじゃなかったっけ???少なくとも、この一呼吸の間の演出が印象的だったのは事実です。

ここでオードリーが物語の初めから、シーモアのことをそういう意味でかなり好き、という下地が敷かれていると感じました。シーモアだけがはっとするなら「シーモアはオードリーが好きだけど、オードリーはシーモアを(いい人だと思ってはいるが)好きな訳ではない」という印象になるけれど、お互いにはっとすると「互いに好意を抱いている」印象になります。

で、私の感覚でしかないのですが、2020は「(オードリーのことが好きな)シーモアの話」だったのが2021は「シーモアとオードリーの恋の話(話の主体はシーモア)」になっているように思いました。

特に妃海さんのオードリーは初見からシーモアが好き!なのがストレートに伝わってきて、恋の話という印象が強かったです。

楽で初めて下手に座ったら表情がしっかり確認できたのですけど、井上さんのオードリーも初っぱなから「シーモアに会えて嬉しい!」感が溢れてました。

この辺り、やっぱり演出変更してませんか???

 

演出変わった??な点その2は、サドゥンリー シーモア歌い終りで抱き締める前にキスしそうになる所です。これ、前回もあっ…た…?おずおず抱き締めてた覚えしかなくて、前からあったならごめんなさい。

このシーン差し込みで浮き上がるのはシーモアのヘタレさなんだけれども。なんでしないのよ?!という肩透かし感がすごい。(コロナだし無理、というメタな理由は置いておくとして)

 

多くのキャストが2020から続投のなか、ムシュニク役の阿部さんのみ新キャスト。実は岸さん→阿部さんのムシュニクも印象が違っていて。

ムシュニクは物語随一の「マトモな人」だと思うんだけど、岸さんのムシュニクはそこにスキッド・ロウの住人らしい妥協と、そしてお金スキー感があったと思います。対して阿部さんのムシュニクはとにかく父性が強い。阿部さんムシュニクだと店主と従業員というより父親と子供たち、という感じがしました。そしてお金は普通に好きだけど特別大好き!って訳ではなさそうだなと思いました。

 

ところで、リトショを観劇していて、自分の感覚とずれているなあと思う箇所がありまして。

シーモアが大口顧客シーヴァ家の葬儀の花の注文を忘れて怒られた後、オードリーが「ムシュニクさんはあなたに厳しすぎる」と言うんだけど、いや普通では…?と。何だろう、台詞にパワハラモラハラ感をそこまで感じないからかな?普通に怒られているようにしか見えず、そしてやらかした失敗からすれば、怒られるのは当たり前と思ってしまいます。(感情的に怒らず理性を持って諭すのが良い上司ではありましょうが)

それからナイトクラブ。私の持つイメージはデヴィ夫人が若い時働いていたような所だけど、スキッド・ロウなので格をかなーり落としてキャバクラかな?だとしても、水商売ってそこまで恥じるような過去ではない気がするのだが……でも1960年代のアメリカでは相当なヤバい職という認識だったのかも知れない。と無理矢理納得させています。

あと、シーモアのことを「ひょろ長い」と形容するんですよね。鈴木さんひょろいけど長くないし三浦さん長いけどそこまでひょろくなくない…?

毎回引っ掛かりながら観劇しました。

 

2020年はオードリーについて、その突飛な話し方とキャラクターに度肝を抜かれてしまい、深く受け止められていなかったのですが、今回2021年版を観劇していて、その自己評価の低さに共感しました。よく分かる。

私は自罰傾向はないのでオリンとは絶対に付き合わないけど、「素敵なひと」に自分は似合わない、と思ってしまうのはとても共感できます。共感したらいけないところですが。

この自己評価の低さに苦しんでいる、低所得層の一人の女性、というオードリーの立場の哀しみをよく表現されているなあと感じたのが井上さんのオードリー。

オードリー役のお二人がどのような役作りをされたのかは分かりませんが、私には妃海さんは相手との関係性からオードリーという役を紡いでいる感じで、井上さんはまずオードリーというキャラクターを確率させてから相手への反応を決めている感じに見えました。

「この反応をするならオードリーはこういう人」と「オードリーはこういう人だからこの反応をする」の違いです。実際はどちらもあっての役作りだと思います、印象がこうだったのです。

妃海さんはとにかく歌が上手いし、歩き方からオードリーとして可愛らしく作り込まれていて、形(所作)から観客に訴えるのが巧みだなあと思いました。何より恋の表現が手厚い!流石宝塚ご出身です。

井上さんは演技力が高い。2幕に入って「オリンに消えて欲しかった」と告白してからサドゥンリー シーモアに入るまでの苦悩の演技と、何より死に瀕しての演技ですね、涙が美しかったです。

正直、コミカルよりもシリアスの方が上手いと思いました。とはいえ、楽の「はいありがとうございまぁす!」は、かなり笑いましたが。それから、映像向いてそうだなあとも思いました。だって表情めちゃくちゃ良いのですもの。

でもでも妃海さんの死の場面もとってもいいんですよね!情感たっぷりで。どちらのオードリーも臨終場面は泣きそうになりました。素晴らしかったです。

 

オリンは2020年に引き続き、今回も登場しただけで拍手が起こっていました。すごい。そしてオリン オン ステージ!今回はコール&レスポンスができないので、アクション(オリン曰く「コール&レッツダンス」)と劇場入場時にレスポンス用の『運命のペーパー』を掲げる形になっていましたが、会場を十分楽しませてくれました。

石井さんは2幕締めのマーティンさんのセリフ以外、全部笑いを取りに来てると思う。私はスキップスニップさんがお気に入りです。シーモアが悩んでる場面の電話、相手が間違えてるんじゃなくてスニップ翁が聞き取れてないんだと思ってます。

あのシリアスな場面でオモシロ合いの手を成立させなきゃならないんだから大変だなあと思いました。

そしてラストのセリフを言うマーティンさんは不気味怖くて、ホラー感が良いです。芸が達者だー!

 

boy'sのお二人。幕前の客席あたためからオードリーIIの操作、様々な役回りと(おそらく)影コーラス、お疲れさまでした。お二人がいてこそ回った舞台です。

 

girl's(ロウズィーズ)の皆様。素晴らしいお歌の数々をありがとうございました。

最初から最後まで出ずっぱり歌いっぱなしで、やりがいはあったかもしれませんが大変だったと思います。

コメディ部分はロウズィーズの皆様がいないと成立しない箇所が多数でした。特にロネットのツッコミが無かったらどうなっていたことか!まりゑさんはTwitterでも共演者のツイートに一言ツッコミ入れていて、芯からツッコミ体質なんだなあと思いました。

 

オードリーII(閣下)については、2020年に単独でブログ書きましたので、そちらを参照下さい。

閣下ボイスのオードリーⅡが大好き - 観劇感想文

とりあえず私はリトショで一番カワイイのはオードリーIIだと思っています。

 

 

さて、ではシーモアですよ。イチ観客の感想なので、そういう見えかたもあるんだなあ位の広い心でお願いします。

嫌な予感がした人は引き返してくださいね!

 

三浦さんはスターだな!と思いました。シーモアの無責任さを、役者本人の持つ若さと圧倒的白い役オーラで純粋さに変換していると感じました。

三浦さんのシーモアって、多分自分が悪いとは全く思ってなさそう。ムシュニクに「僕はやっていない!」と訴えている場面、本当に「僕はやっていない=オリンがガスマスクで勝手に死んだ」と思っているように見えました。ムシュニクを喰わせる場面も、オードリーIIが咀嚼し始めてやっと自分が何をしたか自覚したような感じでしたし、その後も罪悪感より戸惑いの方を強く感じました。

なぜ悪いと思っていないのか→純粋だから操られてしまった、という役作りだと思うのですが、操られてしまうような純粋さは若くないと説得力が出ないので「今の」三浦さんならではかなあと思いました。(年齢が上がると純粋というより愚鈍に見えてしまいがち)

徹頭徹尾オードリーIIにその操られた被害者としてシーモアを演じている上に、白い役オーラがそれを補強しているので、多分人によってはシーモアとっても可哀想(報われていない)と感じるのではないでしょうか。

三浦さん、当然ながら歌が上手い。体格もいいし、東宝が推すの分かるな~!と思います。客も持ってますしね。

ところでヘアスプレーはリスケしないんでしょうか?観たいです。

 

対して鈴木さんのシーモアは犯した罪に自覚的です。ムシュニクに言う「僕はやっていない!」は咄嗟に出た言い訳に聞こえるし、ムシュニクをオードリーIIに入るよう唆している時も、自分の行動が何を引き起こすか分かっている。でもムシュニクを喰わせたことに罪悪感があり、後悔していて、なのでロウズィーズの歌う「いつかあなたの行いの報いを」という歌詞が鎖となってシーモアを締め上げていくのが見えるようでした。

鈴木さんの武器は演技力ですが、今回歌唱力も向上していて、さすがにグランドミュージカル級とは言えませんが、ちゃんと聞けるレベルにまで持ってきてくれました。足りない部分は演技力で丁寧に埋めていた印象です。それまでもどんどん良くなっていましたが、最後の週に入った辺りで急激に伸びて、私は2日間の休養の間に何があったのだ?!と混乱しました。喜ばしいです。

東宝さんに置かれましては、また何かミュージカルのお仕事持ってきて欲しいです。あとアルキメデスのリスケ、首を長くして待っています。

 

 

ダブルキャストもシングルキャストも録音音声の閣下も、本当に皆魅力的でした。

版権の関係で映像が残らないのが本当に惜しい!

公演が終わったら、もう観客の記憶の中にしか存在しない。生モノエンターテイメントの儚さを噛み締めています。

 

 

以下、蛇足ですが『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』という作品の歴史とエンディングの変遷を。全部ウィキ調べです。

1960年 オリジナル映画公開…①

1982年 ミュージカル化…②

1986年 ミュージカル版を映画化…③

で、①②③全てエンディングが違っており、③以降はミュージカル上演に際しては②or③どちらかのエンディングになっているそうです。

今回の東宝版は②のエンディングなので、ミュージカル映画を観た方や、③エンディングのミュージカル公演を観たことがある方はびっくりされたみたいですね。

③はハッピーエンドなので、そりゃあびっくりするよね、と思いました。

以上、蛇足でした。