【感想文追記】 舞台サイコパス 4/27昼

2回目を観たら、1回目にいろいろと取りこぼしていたことが分かったので追記。

初見感想はこちら→https://oshigotoid.hatenadiary.jp/entry/2019/04/24/200713

 

この舞台はとにかく情報量が多いので、1回目の観劇時は処理が追い付かず最後ら辺は集中力が欠けていた模様。あとドミネーター起動しないことにかなり気を取られていた(笑)

 

哲学的ゾンビについて、狭義の意味と広義の意味とがあると気づきました。

正直、2つの意味を持たせるのはかなり分かりにくくなってしまうと思います、少なくとも私は分からなかった。

私は1回目に観たときは狭義の意味でしか捉えられていなかったので他の方の感想読んで「???」となっていました。

 

狭義の意味では、後藤田のように脳改造でシステマティックに反応を返しているだけで、普通の人間なら色相が濁るような場面でもクリアなまま作業ができる者。

善悪の判断や感情表現が本人の自由意思に拠らずマニュアルに従っているだけなので、例えば「空腹になったら食事をする」と「三島の指示に従い死体をばらまく」が善悪的には等価になっている。

 

広義の意味では、社会システムや他人の考えに盲目的に従う者。PSYCHO-PASSの世界に於いては特にシビュラシステムを絶対視してその判断や指示に疑問を持たない者。

 

三島が広義の意味で九泉を指して哲学的ゾンビと言っているのだけれど、私は先に「哲学的ゾンビとは後藤田のような者=脳改造によってシビュラシステムで犯罪係数が計測できない者」とインプットされてしまったので、九泉を指して哲学的ゾンビって言ってるのは単なる嫌味だと思ってました……「政府の犬」的な……

後藤田がシビュラが反応しないほど、三島の指示であれば非道なことも色相が安定した状態で行えるのに対して、九泉はシビュラの判断に従い母親を殺したことに無意識下であっても苦痛を感じ色相を濁らせている。この違いがあったので、私は後藤田と九泉がイコールにならず、初見時に九泉=哲学的ゾンビと認識できませんでした。

おそらくシビュラもやろうと思えば後藤田タイプの、本人がノンストレスの哲学的ゾンビが作れる筈なのに、わざわざ母親を殺す記憶を植え付けることでシビュラを絶対のものだと認識させるなんて隙がありすぎる。だから同じものではない、という認識でもありました。

でも今思えば単に九泉への施術時には、後藤田タイプの技術が開発されていなかったのかもしれない。

 

 

中国語の部屋ダブルミーニングなのも、こちらは分かりはするのだけれど、難しくないですか。私の頭が悪いのが悪いのか?そうか。

中国語の部屋=シビュラシステム廉価版

中国語の部屋哲学的ゾンビの脳内

と理解しています。違ってたらどうしよう。

 

一般認知度が低い言葉に二重の意味を持たせるのは、例えば小説のように疑問を持ったら前のページに戻って内容を確かめられる、自分のペースで物語を進められるコンテンツなら構わないと思いますが、舞台のようにひたすら与えられる物語を受け取るコンテンツでは処理が追い付きません。

私は舞台作品は舞台上で表現されたものが全てと思っているので、どんなに面白い・好きだと思った作品でも戯曲が欲しいとは思わないのですが、今回は戯曲欲しいと思いました。どういう意味なのか分からない、自分の解釈に自信がもてないところが多くあったから。全員が複数回見られる訳じゃないんだから、私のような集中力の足りないバカでも一回で理解できるようにもう少し分かりやすくお願いしたいです。

 

 

嘉納について、ラストシーンで「隠していた計画を見つけてしまった」と自ら言っていたので、偶々知ってしまった、というのが正しかった。あとシビュラシステムが「電波通信障害を解除します」的なことを言っていたのでドミネーター起動はシビュラシステムによる反応。やっぱりシビュラが『嘉納の色相・犯罪係数判定は監視官認定に相応しいものと改竄する』と常に末端まで認識しているってことなんだろうな。

 

 

全てシビュラの手の内、壮大な実験の一環のようなので、嘉納や人工監視官育成計画(名称ちょっと自信ない)を発見したのは偶々ではなくてシビュラがわざと知らせたんだろうと思います。潜在犯には非人道的な行いをしてもいいんですから。本当ひどい。嘉納は自分の犯罪係数の改竄を知らなかったらヒューマニストに与したりしなかったはず。

九泉の記憶改竄について目白や嘉納が知り得たのもわざとだと思っています。それを知ったら九泉がどう振る舞うか。九泉はシビュラに従って母親を殺すような人間でなくて良かった、と思ったのでシビュラから不要判定くらいました。

 

 

犯罪係数オーバー300について。これは大量殺人や猟奇殺人をする可能性大という意味ではなく、シビュラシステムの崩壊に繋がる可能性大の為この数値なのだと思います。

シビュラの社会における信頼を著しく低下させ、現行の社会秩序の崩壊を招く者なのでオーバー300。シビュラにとっては大量殺人者と同等の危険人物、アニメではヘルメット事件時にシビュラシステムの信頼低下によってリンチが横行し結果大量の殺人が起きている。

 

 

九泉の母親について。九泉は「厳しかったけれど、自分のやることは何でも認めてくれた、犯罪を犯すような人物ではなかった」と言っていて、かつカウンセリングから3D化させたホロでは母親は「それでいいの」「あなたとシビュラの話」と訴えている。

なので、私は母親は実在していてエリミネーターで殺処分されている、但し撃ったのは九泉ではないと思っています。

優しくて犯罪を犯しそうにない母親をシビュラの判定に従って撃ったという幼少の頃からの記憶全て本来のものではない、という可能性ももちろんありますが、記憶全部塗り替えるより一部改竄の方が容易いと思うし、街中で過去を知る人に会う可能性を考えると全部塗り替えるのはリスクが高いと思ったので。

 

 

嘉納が九泉を殺そうとする理由を考えてみたんですが。

大城に殺して欲しいという気持ち、大城を殺してしまう理由、そこは分かる。シビュラの支配する社会は間違っているとテロリストになること、それによって己が潜在犯であったこと=シビュラシステムの正しさの証明となってしまうこと。それが嘉納の心を引き裂いていて、自分を止めて欲しいと思っている。時間切れ、というのは大城が自分を殺すことはないと悟ったからかなと思いました。

三島を殺すのに躊躇がないところをみると、ヒューマニストに手を貸したのは九泉に真実を教えて一緒にシビュラシステムから抜け出すのが目的で、単に利用しただけなのでしょう。でもライブ会場が電波暗室なのはシビュラがわざと作りだした状況で、つまり己の行動が全てシビュラの掌の中で躍っていたに過ぎないと分かったときは絶望しただろうな。それなら一人で死ねばいいのにとは思うけど。エリミネーターでは自殺できないのか?

それとも九泉に「お前とは違う」と同行を断られたから?一人でも逃げたいと思うほど前向きな欲望を嘉納からは感じなかったんだけどな。一緒に生きられないなら一緒に死にたかったの?そんな濃い関係性は見えなかったよ、それとも一人で死ぬのは寂しいから?そこまで弱いようにも見えない。

九泉に確実に自分を撃たせるため、というのが一番納得がいく解釈かなと思います。無抵抗の母親を撃ったのでなくて良かった、と告白した九泉では例え三係の仲間たちの仇であっても無抵抗では撃つのに躊躇するかもしれないと思ったから。この解釈だと九泉生き残っちゃうんですけどね……「ラストはどちらにも取れるようにした」とのことなので、それでもいいのかな。でも相討ちの方が美しい気がする。

ただラストシーンは九泉しか見ていないので(推しが舞台上にいると推し以外に目を向けるのが非常に困難になるタイプのオタクであるため)ライビュ観たらもっと納得できる解釈ができるのかも。